地方であるが故に、
「なんでも屋」になる覚悟。

地方であるが故に、「なんでも屋」になる覚悟。

VOL.01

営業2015年入社S.H

殻を破らざるを得ない転機は、
直属の上司の転勤がきっかけだった。

広島生まれ広島育ち、大学も地元の広島で、広島市内に拠点がある中国支店へ配属されました。
その当時を振り返ると、面接の前段階から“いい意味”で「土足で入り込んできてくれた先輩たち」にココロ開かされ、入社後も活発な支店メンバーが“いい意味”で「ほっといてくれなかった」です(笑)
入社前からずっと「人の温かさ」に触れながらの日々を送ることができています。
こんな私ですが、2022年の春に殻を破らざるを得ない転機を迎えました。というのも、それまでずっと面倒を見てもらっていた直属の上司が他拠点へ転勤になってしまったんです。先輩の存在に守られていた部分があった状況から一転、「自分がやらなければ仕事が回らない」ケースや、担当分野をまるっと任されるケースも増え、まさに激動でした。
これまで積んできた経験が試される春からの期間は、大変さとやりがいのどちらもを感じながら、先輩が敷いてくれたレールをしっかり引き継ぐために必死でしたね。

「枠」の問題でエンジニアを経験した1年が、
チームプレイに欠かせない「糧」となり。

広島を拠点に、岡山・鳥取・島根・山口・香川・愛媛・高知までを担当する中国支店は、東京や大阪と違って人数が限られている分「なんでも屋」になる必要がどうしてもあります。
一人ひとりの裁量や知識の幅広さが求められる地方の支店において、実は私自身、入社1年目はシステムエンジニアとして配属されたんです。当時の「枠」の問題でストレートに営業にはなれなかったんですが、この1年のシステムエンジニア経験が「営業」となる上でも良かったと思うことばかりで…。
普段のシステムエンジニアの仕事を分かった上で営業になったからこそ、仕事の頼み方ひとつ取っても「嫌がられる言い方」は絶対しないよう心がけることができます。
また、少しでもシステムの技術面に触れてきたという経験は、お客さまの前でのトークにも生かされています。
ただこの春からの激動の時期は、忙しさもあって「頼み方」への配慮が欠けていたなと反省する面もあります。「初心忘るべからず」の根本、チームプレイに欠かせないポイントは「謙虚さ」だと思うので。

広島を出たことがない人間の願いは、
これからもずっと「地元」に貢献したい。

ニッセイコムでは、35歳のタイミングで「地域密着型」と「全国転勤型」を選択できる仕組みができています。
あと5年は、私も先輩と同じように「赤ヘル」を脱ぐ可能性はある訳ですが、これまでずっと地元の広島を出たことのない人間でもあります。できることなら、今後もずっと“地元に貢献したい”“地元にいながら挑戦し続けたい”と思う気持ちは強いです。
まさに今、中国支店をしっかり支えられる人間になりたいと思い、中国・四国地方を毎週のように飛び回る生活を続けていますが、なんとしても受注したい案件が目の前にあります。
広島を拠点に、国公立大学向けの財務会計システムを扱う私たちですが、肝心要の地元の国立大学が受注できていない現実があるんです。
中国支店としてこれを受注できなければ、きっと後世まで言われ続けるでしょう。そんなプレッシャーを自分自身にかけながら、チームプレイの鍵を握るシステムエンジニアと共にアプローチをかけ続け、まずは目先の目標を達成したいと思います。